生存確認

つうことで、まずは恒例、生存確認からです。
この秋以降、何とかかんとか、社畜として生きてきましたよ、ええ。




この世界に入ったときは「腕一本で食っていってやる」と思ったもんですが
よくよく考えてみたら、金融って世界は思いっきり装置産業な訳でして
そこに住んでいるひとはどうしても社畜っぽくなっちゃうんですよねえ(泣)




・・・なんてことをTV付けたらたまたま映ってた某お医者さまなドラマのエンディングを
見ながら思ってみたりして。



昔に戻ってきてるなあ

もう師走ということなので、この一年の債券市場を振り返ってみたりした時、ふと思いついたことがあります。
それが「昔に戻ってきてるなあ」ということでして。


例えば「日銀の金融政策」で考えてみますとね。。。



昔々、日銀ウォッチャーの主な仕事の一つに、日々の金融調節オペを確認し、
金融当局の姿勢を探ることがありました。
でも新日銀法が出来てからは、金融政策は政策委員会の専任事項となり、その声明文にこそ
金融政策のすべてがありました。


しかし、今年の4月以降、日銀の金融政策決定会合は債券市場では全然注目されなくなりました。
代わりに注目を集めたのが国債買い切りオペの通知です。
「今日はどのゾーンが対象となるんだろう」とか「この銘柄はまだ買ってくれるだろうか」とか
そういうことを考えることこそ、今年の債券市場を生き抜く術になっていったのでした。


そう、金融政策は政策委員会から金融市場局へ大政奉還されたのでした。





・・・あははははあ(笑えねー)
正直、財務省国債発行運営も少しずつ強引になってきた気もしますし、
GPIFの議論も言うまでもないことですが、やっぱりここに来て
どうも債券市場を取り巻く環境というか制度というものが
90年代に戻ってきているような気がするんですよね。
97年なんて、ちょうど消費税アップ直前ですしね(笑)
まあ、あの頃とは金利水準が違いすぎますが、当時のCD3ヶ月物金利水準と
現在の10年国債金利水準が何げに似てますから、
当時の短期市場の状況が今の債券市場の状況によく似てると
考えることが出来るのかもしれません(汗)




ま、当時と違って山一ショックは起こっていないのが幸いですが。
#起こってしまったらそれこそ目も当てられない。。。




ということで「今の債券市場って、昔の短期市場みたいになってきてたらやだなあ」というおはなしでした。



追記

ということで、来年は「バブルの発生と崩壊」とか「(特に海外での)金融面での混乱」とかが気になるところだと思う。
かつてリーマン以降の米国の金融状況を日本の「失われた10年」と比較する試みがよくあったが、その故事に習って考えてみると、
相対的に低金利だけど低インフレの中での経済回復という、現在の米国の状況というのは、
ちょうど量的緩和解除を模索していた2005年の日本とよく似ている、ともいえるかもしれないのだから。