補足

自分の文章を読み返してみたとき、多分経済学の立場からは気になるであろう一文について念のために解説しておく。

だからこそ俺たちは、しっかりとした「裏」を取っていく。
そこに「期待」なんてやわなものを入れていく訳にはいかないのだ。

ここでいう「期待」と言う言葉は、いくつかの意味を込めています。


(その1)
経済学用語としての「期待」ではなく、もっと一般的な意味においての「期待」。
どちらかと言えば単なる願望という意味。
#当然、そういった甘い考えは否定される。




(その2)
マーケットでは経済学用語としての「期待」と一般的な意味での「期待」を混同している(ことがある)、という意味。
まあ、確かにマーケットの一部に混同しているひとがいるのは確かだし、私も今回はあえてその辺りを厳密に区別して書く気はなかった。
それがマーケットの現実であることを知るのもいいのではなかろうか。




(その3)
そもそも金融市場のいう「期待」って何よ、という問題もあったりします。
この辺りの議論で一番有名な事例はケインズの「美人投票」と私は思ってますがどうでしょう。
実務の上で「期待」を取り扱うときの難しさというのは、我々マーケットの人間はしばしば「美人投票」の世界にいるということなのです。
不安定な状況下において「美人投票」の「空気」を追うべきなのか、それともファンダメンタルを追うべきなのか、
市場においてどっちが「やわ」なのか、これは非常に難しい。だって投資スパンというものもあるからね。
他にも各市場の調整速度(例えば金融市場は財市場よりも調整が早いだろうし、金融市場内でも株と債券では調整速度に差は出るだろうし)や、
当局の市場に与える影響度(当局はしばしな市場からの挑戦を受け、時として敗北したりしている)にも依るだろうし。
一応、ここでは(その1)の意味も含め、「願望的な弱い『期待』は入れないよ」として後段につなげてもらうように読んでもらえると助かります。
まあ、それを含めて考えての「合理的期待形成だ」と言われればその通りとは思うけどね。




いずれにせよ、別にここは経済学の厳密な議論をしようとしているのではなく、市場参加者から見た、どちらかというと「ひねくれたものの見方」を
紹介しているところなので、その辺りをご了解いただけると幸いです。