学童保育問題再び。

木村さんのblogにてまたまた学童保育問題

俺はこの展開に半分がっかりしつつ、もう一方でまだ期待している自分に気づく。



実は今回のネタで一番嬉しかったのが、コンテンツが「経済問題を語ろう」に変わっていた点です。やっと「年金問題のおまけ」ではなく独立した「政策論」として語られることになりました。
ま、よく考えてみればこれまでの議論の中で年金問題に絡めた視点から書いておられる方もいなかったようだけどね(汗)共働き家庭における世代内不均衡問題という立派な「年金問題」は存在しているのに。
ついでではあるが「年金問題」とは「世代間不均衡」のみを取り扱うものではない。「世代内不均衡」を取り扱う場でもあるのだ。そのことについて今一度ここで主張しておく。


で、本題なのだが、やはり木村氏は少し誤解しておられるような気がする。前回のトラックバックの中では確かにジェンダー論に関する議論が多かった。しかしそれは木村氏のいう「悩める母親」たちの間にて「ジェンダー論」が歴史と化しているからではないだろうか。すでに彼女たちの間では「女性」を正面から掲げて闘うこと自体に古くささを感じてしまっているのだ。私自身、「悩める母親党」というネーミングにはマーケティング上の問題を感じずにはいられない。
ま、それを「小さな問題」と言われてみればそうなのかもしれないけど。



それよりも「学童保育問題」の一番の問題点はそれが「現在進行形」であるということなのです。共働きの夫婦は既に最前線で闘っているのです。ある人は学校現場で、またある人は職場で、もちろんある人は市町村の議員さん達とともに地方自治の現場で闘っているでしょうし、「お役所」のみなさんと協力して頑張っている人もおられると思います。その他にも「保育園に入りやすい地域だから」とかいう理由で引っ越しを敢行する人も一杯おられますし、地域社会で偏見と闘いつつ歯を食いしばって家計を支えている方も多いと思います。


俺が一番いいたいことはそこなんです。別に母親とか父親とか子供がどうしたとか、縦割り行政がどうたらこうたらとかそんなことはどうでもいい。共働き家庭は既に闘っているのです。自分たちの最大限の能力で精一杯に。


だから国会の場であろうとblogであろうとそんなこともどうでもいいんです。子供たちを安心して夜まで、とはいいませんからせめて夕方7時頃まででも預けられる環境整備に協力していただきたいのです。
方法なんて問いません。現場がうまく回ってくれるならどこの縄張りだっていいんです。


木村氏のいう「政策論」は多分その先にあるのでしょう。
でも現場ではそこまで回っていられないのです。
まぁ、あえて「政策論」的なアプローチからこの問題を考えるのならば、やはり全ての小学校に学童保育施設を併設する、といったトップダウン的なアプローチと、学校現場でのさまざまな問題を地方自治体への権限委譲と法律の柔軟な運用にて解決するというボトムアップ的なアプローチを併用することになるのでしょう。その意味では「学童保育特区」を設け、学童保育の環境改善に積極的に取り組んでもらう自治体を育てることも一つの案かもしれません。




そして。最後に。


俺は保育所を卒園し学童保育で育ててもらいました。
確かに今から20年も前のことなので現在の状況とはずれがあるのかもしれません。でも、当時を思い出しつつ子供だったあのとき言えなかったことを書いておこうと思います。



確かにあのころ、うちんちは貧乏でいろいろ大変でした。
でもあのとき両親をはじめ周りの大人たちが助けてくれたから、いまの俺はこうして生きていくことが出来ます。
あのとき助けてくれたみなさん、ありがとうございました。


そして今、学童保育はまだまだ頑張っています。
少しでいいんです。出来る範囲でいいんです。
俺たちの後輩たちを助けてやってください。


この文章が、あのころ助けてくれた学童保育への万分の一でも恩返しになれば幸いです。




(追記)
この文章は「Unforgettable Days」さんの「経験者は知っている」という記事に触発されつつ書かせていただいたものです。
この文章が何らかの回答のひとつになっていることを願っています。