FRBの政策について

今の「質的緩和」なんていうらしいFRBの政策を日本の量的緩和と比較して論じる人は多い。
いやもうてんこ盛り。


でも2001年当時って、日本は別に金融危機じゃなかったと思わない?
あの時は、2000年秋のITバブル崩壊で急に景気が悪くなったので金融緩和が求められたけど
当時のコールレートは0.25%しかなかったので、ゼロ以下にするために「量的緩和」に向かったのが2001年3月。
それでも景気好転が見えないまま(って実際には2002年頃から好転していたのだが)
更なる緩和措置を求められた代わりに出口を明確にして(出口が遠いことを示して)
緩和効果を出そうとしたのが2003年。いずれにしても今米国で問題になっている
金融危機とはあまり関係がなかったりする。




本来、比較すべきなのは98年1-3月のはずなのだ。当時の日本は山一ショックを受けて
短期金融市場が大混乱に陥り、都市銀行ですら資金繰りに不安を抱えるところが出ていた。
これに対し日銀はコールレートの誘導を半ばあきらめ、所要量を大幅に上回る
資金供給を続けて市場の混乱を押さえようとした。
確かCPオペもこのころ始めたんじゃなかったっけ。(CPオペについては記憶があやふやだなあ。)


金利にも量にもターゲットを置かず、金融機関の資金繰りをつけてやることを第一義に
システム全体の安定を図るために中央銀行のB/S拡大を容認する、これは現在のFRBにも通じるところである。
もちろん、現在のFRBの方が進んでいる点はある。MBSなど、クレジットものを多く
買い込んでいる点だ。まあ、当時の日銀はそこまでクレジットものの購入に向かえなかった一因としては
政府側のサポートが今のFRBのように充実してなかったせいもあるし、
FRBの買い取りに際しては政府も一緒に金を出したり損失を補填することを約束してたりしている。
 FRBのB/Sが痛んでも米国政府がきちんとその穴を埋めてくれるのだ。)
当時の日本の都市銀行の問題となったアセットはいわゆる「不良債権」、形としては証書貸し付けであって
証券化されていないので、流動化が難しかったという点もあっただろう。
#確かFRB証券化されていないローン債権は手を出していなかったと思う。違っていたらすみません。